2007-03-20 第166回国会 衆議院 厚生労働委員会 第6号
政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと 御高齢で十年余りをリハビリをやりながら過ごしておられたけれども、この改定に伴う中で、リハビリの打ち切りが宣告され、そして、彼女はもう一句詠んでおられます。 寝たきりの予兆なるかなベッドより起き上がることのできずなりたり その一カ月弱後にお亡くなりであります。
政人(まつりごとびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ生きぬく道のありやなしやと 御高齢で十年余りをリハビリをやりながら過ごしておられたけれども、この改定に伴う中で、リハビリの打ち切りが宣告され、そして、彼女はもう一句詠んでおられます。 寝たきりの予兆なるかなベッドより起き上がることのできずなりたり その一カ月弱後にお亡くなりであります。
政(まつりごと)とは正すこと。「政(せい)は正なり。」政治は不正を許さず人々に模範を示すことで秩序ある社会をつくり上げる」という孔子の言葉を引用し、「政治家一人一人が肝に銘じ、常に襟を正さなければなりません。」と訴えられました。 同じく孔子の言葉を引用して言えば、人は、身を修め家をととのえた上で、国を治め天下を平らかにすることができるというのです。
政(まつりごと)とは正すこと。「政(せい)は正なり。」政治は不正を許さず人々に模範を示すことで秩序ある社会をつくり上げるという孔子の言葉を、政治家一人一人が肝に銘じ、常に襟を正さなければなりません。信頼の政治の確立を目指して、政治改革に取り組んでまいります。 私は、官から民へという方針のもと、規制改革や特殊法人の廃止・民営化などを進めてまいりました。
例えば卑弥呼に見られるように、政治とそれから宗教がかなり一体化していた、ですから政治事をまつりごとと呼びますね、そういった時代と、それからもう一つは私は明治時代になってからだろうと思います。 それで、例えば奈良時代になりますと、実は飛鳥時代からもう始まっているわけですが、奈良時代ですと、皇室とそれから神道の関係だけじゃなくて、皇室と今度寺社の関係が大変強くなります。
政表の政は、製造の製ではなくまつりごとの政ですけれども、政表という言葉が統計の前身の言葉なんですね。それぐらい製表と統計とは切っても切り離せないものだと私は思うのです。字は変わってはまいりましたけれども、これが統計の主要部分を占めているのではないか、こう思うわけでございます。
そういうものがある場合におきまして、そういう危険なものがあるということを考えますと、それはやっぱり危険でないようにするというのが、私は、これはまつりごとをなす者の責任だと思うのです。
そういうものを踏まえて、さらに私が国民から見て御了解賜わる範囲であるかどうか、それらを判断して、隊員の処遇改善その他について努力をしたい、これが内政、内のまつりごとの意味であります。
もあると思いますけれども、日本国憲法の中における天皇の位置づけ、主権者としての国民の責任——行政官庁としての内閣が思い上がって、主権者としての人民すなわち国民なり、民族統合の象徴としての天皇をないがしろにして、蘇我入鹿やあるいは弓削道鏡や徳川幕府のようなおごりをやると、昭和維新というものの中においては大化の改新や明治維新よりもきびしい制裁を受ける怒りが国民の中に秘められているということを心して、やはりまつりごとをとる
○吉國政府委員 通常国政ということばは、これは国のまつりごとと書きますものでございますから、政治的な色彩がどうも出てまいると思います。
「政は正なり」、まつりごとは正しくなければならぬ。「その身正しからずんば令すといえども下従わず」ということばがある。政治の指導者というものは、そこに常に正しい指導理念を持って庶民を愛する。そこで政治が安定するのですからね。これは大臣がいま、非常に悲壮な決意を表明されたのを私は喜びます。それをもって省議をまとめていかれ、そして総理を動かし、閣内を動かし、日本の政治を変える。
古い時代に、沖繩は、祭政一致と申しまして、まつりごとと神ごとが一緒でございまして、女が神官で、「のろ」というのがございまして、沖繩にも群雄割拠みたいな時代があって、武将が戦っていたわけなんですけれども、そのときにいくさ船に、やっぱし兵隊と一緒に女が乗りまして、そして祈りをして戦勝をかち得たということがたびたびございまして、そういうことから沖繩の女はいくさのさきがけというふうに言われております。
私どもは、昨年度予算に比べて大幅に削除せよとは申しませんが、増加した分くらいは政治家がまつりごとをつかさどっているという責任のある、血の通った重点施策に振り向け、大胆に実施すべきだと主張いたします。 たとえば住宅、物価、公害、交通禍、老人問題等、大胆に行なうべき重大なる緊急政治課題は山積をいたしております。
まつりごとのもとは正しきにあり、信をもってしなければ立たないと中国は昔からいうておる。それは共産党でも今日変わっておらぬと私は思う。あなたは、南漢宸に会ったその前後、佐藤会談の内容も相当知っておるに相違ないと思うから、正直に言ってください。
御案内のとおり、首里城の正殿は琉球王国時代の国政の政庁、まつりごとの庁といたしまして重要な儀式に使用されたものでございまして、その様式、規模におきまして沖繩の古建築中最大にしてかつ特徴的なものといたしまして、戦前は国宝保存法によって国宝の指定を受けまして、昭和六年に国の補助事業として解体修理を行なったわけでございます。
林政部長で、あなたはまつりごとをつかさどる方なんだから、農業一般の中で、これは一体どういうふうにするわけですか。農地法との関係、活用法案との関係ですね。長官がわからぬ場合は、あなたが進んで明快にすべきじゃないですか。
日本の場合においては、ブルジョア民主主義における政治経済、文化、こういうふうに分けておりますけれども、中国の社会主義の政治思想からいきますと、すべてをおおうものが政治である、まつりごとである、こういう考え方ですから、どんな一人の行動、経済行為も政治を切り離したものはあり得ないのだということを言っておるだけです。
昔から「李下に冠を正さず」こういうことばもございますし、「まつりごと清ければ人和す」ということばもございますが、政治に関与する者、ことに公務員たる者は、みずからえりを正して、いやしくも社会の指弾あるいは疑惑を招くようなことがあっては相ならぬ、かように考えておるものでございまして、大蔵省といたしましても、今回総理府長官の通達につきましては、みずから率先をしてこれを実行をする、また大蔵省関係の地方のそれぞれ
木暮さんは、孔子の言われた、「まつりごとは正なり」ということばを好まれまして、党人ではあられましたけれども、国民のための政治に徹して、清廉に信念を貫き通されました。 選挙も十回以上もおやりになられたのですが、名門であり財閥であられた木暮さんでしたが、トラックに乗って、夜、宿舎に着くと、奥さんが着物とたびを持って来られます。洗たくされて、きれいなのですけれども、あちこちにつぎが当ててある。
これは、まつりごとの根本から姿勢が正しくなくなってきているからだと思うわけです。 そこで私は、特に内閣の数字のいじり方でありますが、この経済見通しはいつも狂っていることは多くの人がいろいろ指摘しておりますから、いまさらこれは言いませんが、予算を組む際に、大蔵省では本年度の成長率を出して、それに従って税収見積もりを立て、予算を組むことになっております。